安西 果歩
藤堂裕子は冷たいベッドの中で目が覚めた。
「寒いわねえ。暖房が切れているの?」
と妹の忍に声をかけた。彼女はすでに着替えを終って窓の外を熱心に眺めている。
「暖房が止まっているのよ」
忍は寒そうに組んだ両手を激しく撫でながら言った。
「どうりで。壊れているの?」
裕子は窓の下にある暖房機に目をやった。
「節約の為に止めているのでしょう。見てごらんなさい。皆温まるために体操をしているから。体操ではなくてカンフウかな」
裕子は冷え切った布団の中にさらに体を潜らせた。
「もう、起きなさいよ。朝食に行かない?食堂の方が暖かいわよ」
忍は裕子の服をベッドの上に軽く投げるように置いた。
裕子は今年四十二歳になるが、忍は七つ年下である。
裕子からしてみれば親子のような気がするのだが、四十二歳まで独身でいる裕子を忍は何かと妹のように扱う。結婚も子育ても先輩であり若い頃に子を産みながら結婚ができず家族を持つことに失敗をした姉を、つねにリードするところがあった。
裕子は急いで服を着替え、洗面もせずに食堂へ行った。
食堂は大勢の観光客で賑やかであった。
「おお暖かい!さすがに中国ね.合理的だわ」
と、裕子は部屋の暖かさと人が多いことに驚きながら言った。
今回の中国・北京の旅は裕子が忍を誘った旅であった。
日中友好条約が結ばれて八年になるが、一般の者が訪れることが出来るようになったのはごく最近のことである。
中国の空港に着いたとき観光ガイドは
「まだ、あくまで友好施設の訪問ということですので、観光とは考えないで下さい」
と強く注意をした。ツアーの一行は真剣な表情で頷き緊張した。まだ日中間に緊張が残っていたのだ。
食堂では朝食が始まっていて、温かそうなマントウが並べられ、小さな皿に盛られた漬物のようなおかずと色とりどりのお粥が、テーブル狭しと置かれていた。
「懐かしいなあ、もう何十年も食べていないわ。嬉しい」 「何回でもお替わりできるみたいよ。お皿が空になると次々にボ
ーイさんがお皿を取り替えているわ。曲芸みたい」
忍は、空になった皿をすばやく取り替えるボーイの技を興味深げに見つめている。いくつもの皿が宙を飛んでいるみたいだ。
二人はゆっくりと楽しみながら朝食を済ませるとロビーに出た。
ロビーでは今日の目的地の名を大きく書いた紙を高く掲げて、ガイドが何かを言っていた。
「集合らしいわよ。ゆっくりしていたら置いていかれるところだったわね」
二人は顔を見合わせ、急いで集団の中に入った。
「それにしてもなんて寒いの。寒いのではなくて冷たいのだわね」
真冬の北京旅行を選んだのだから、初めから裕子には無理な選択であった。だが、なんとしても安いことが魅力であった。それに、裕子は七歳になるまで北京に住んでいたのだ。寒さがこれほど身に応えるとは思っていなかった。
列車に乗り込むと中は暖房が効いていてコートを脱ぐほどであった。
しかし、列車のサイズは日本のより少し大きめで、二人は向き合って座り互いに足を出し合おうとしたが届かなかった。
「この旅は疲れるわねえ。はずれだったかな」
と裕子が言うと、
「これがいいんじゃないの。私たちにはハングリーの旅が必要だって言ったのはあなたでしょう」
と忍は笑った。
いつもけっこう我儘な旅をしている二人である。
それでも車内で飲茶のサービスがあると、中国にいるのだという実感がでてきた。中国大陸というのは荒涼としている。とくに冬の大陸は索漠としたものだ。途中で、現在進行中という遺跡の発掘現場を見た。たくさんの兵士の格好をした埴輪が整列したものだった。
「これが今話題になっている明の十三稜の埴輪軍ね。だいぶ取り出したらしいのにまだこんなにあるのね」
列車の窓からでは正確に分からないが、どれも人間の等身大であるということだ。
中国は面積も広いが文化財のスケールも大きい。そして何よりも歴史が古い。悠久といわれる筈だ。
発達領駅につくと外はまた氷の世界であった。そこには空気ではなく氷が張り巡らされていた。
パリパリという音が聞こえるようである。もちろん吐く息も凍る。自分が吐く息を見るのは初めてである。
「ねえ、長城を上り始める前にトイレに行かない?あたし行くわよ」
そういうと忍はすでに駆け出している。トイレの方角の見当がついているのか、一目散に走る妹の後から裕子も走った。
少し走って忍が立ち止まったので、裕子も止まったが、
「ちょっと、ここらしいけど。皆が見ているわよ。この人たちどいてくれないかしら」
と困った顔を向けた。忍が眺める方に目をやると、四,五人の男がトイレの中にあるストーブの火にあたってこちらを見ている。
「あら、トイレの扉もないの?いやだわあ、できないわよ」
近づいてみると、トイレには便壺がずらりと並び幾つもあるが、しきりや扉は付いていなかつた。幾つか置いてあるストーブを取り囲んで男たちが暖をとっている。ふたりが近づくのを興味深げに見ている。
裕子の悲鳴を尻目に忍は一つのトイレに飛び込むと、勢いよくオーバーの裾をまくりあげた。しゃがみこんだ忍の口から、フウーという声が聞こえた。
「早くしなさいよ。あたしがこうして立っていてあげるから」
用が終った忍はほっとした顔つきで言うと、オーバーの裾を広げて男たちの視野をさえぎった。
裕子も用をたしてほっとしたが、ここではトイレで火をたいていないと尿や便が凍って怪我をするというのだ。それで火をたいているのだそうだが、そこに近所で仕事にあぶれた人々が暖をとりに来てるというわけだ。
二人がトイレから出てみると、ツアーの一行はすでに長城の方へ歩き始めていた。
万里の長城はかなり離れたところから登るようだ。聳えるというほど高くは感じられないが、空に向かって伸びている道はかなりの傾斜がありそうだ。
秦の時代に始皇帝が造ったというが、それ以前から要塞として存在していたらしい。全長はまだ確かではないようで六千五百キロはあるということである。現在はほんの一部が観光用に整備されている。日本全土を一周できるほどの城壁である。
「グレイトウオールって言うのね。さすがに偉大だわ」
裕子は雲の中に消えて行く高い階段を見上げ、寒さも忘て
立っていた。
「まったく不親切ねえ、こんなガイドは日本では勤まらないわ」
気がつくとツアーの人達は誰もいない。二人は彼女たちを置いて行ってしまった一行に不満を言いながら登り始めたが思ったより傾斜が急である。長城に登るところになると凍った石畳みの上は滑って思うように歩けない。
慣れてくれば上れるのであろうか。ぐずぐすしているうちに、まわりに人の姿は見えなくなっている。一緒に列車を降りた人達は難なくここを上って行ったのであろうか。顔なじみになった人々の姿もまったく見えなかった。
明の時代に何回か本格的に修復されたようだが、その後傷みも進み、観光化されたとはいうもののでこぼこの煉瓦の道はとても歩きにくい。さらにそれが凍っているのだ。
二人は長城の側壁にしがみつきながら支えあって少しずつ歩いた。おしゃれな皮のブーツを履いていることが失敗であったようだ。
「戻ろうか。とても上れそうもないわよ」
裕子はねをあげた。
「いやよ。みんなが上っているのよ。私達だけが登れないわけはないでしょう。あたしは行くわよ」
忍は裕子の方へ泳ぐようにしてやってきた。二人は同じ側壁を前後になりながら進んだ。しばらく上ったとき、裕子は胸の痛みを感じ始めた。
しまったと後悔の気持ちに怯えた。最近彼女は心臓が急激に衰えていることが分かったのだ。この旅行を決める数ヶ月まえに、医者から心不全になりやすい状態であると言われた
洞機能性不整脈症候群という病名であった。
胸の痛みはだんだん激しくなり、脈拍も三十を数えられなくなっている。
ものも言えずにうずくまる裕子の様子に驚いた忍は大声で助けを呼んだ。
「ガイドさーん、どなたか来て下さい。助けて下さい。誰かお医者さんはいませんか。ガイドさん」
忍は叫びながら裕子の体を撫ぜたり脈をとったりしたが、体を横にしようにも滑ってその場に寝かせることもできない。
ようやく、ガイドの女性が数人の男を連れて駆けつけてきた。
「ちょっとみせてください」
一人の男がガイドを押しのけるようにして裕子達に近ずくとすぐに裕子の脈をとった。そして、黙って自分のバッグの中から、一粒の白いものを取り出すと裕子の口の中に入れ、
「舌下錠です。分かりますね。含んでいてください」
と言った。裕子はホットして頷き、口の中に神経を集中させしばらく息を整えていた。
舌下錠のことは知っていた。病院で説明を受けたとき、次回は様子をみて舌下錠を出しますと言われていた。
「連れの人ですか。この方はすぐ病院にお連れしますがよろしいでしょうか」
医者らしいその男性は忍に向かってそう言うと、裕子を抱え上げた。一緒に来た二、三人の男性たちも手を貸して駅の方へ歩いた。
それが裕子と徐再思との出会いであった。
徐は北京大学病院の医者であった。連れの男性たちもみな医者の仲間であると言う。流暢な日本語を話すので、男性達を日本人であると思っていたのだが中国人であったことに忍も裕子も驚いた。
彼らは二人を大学病院へ連れて行った。
病院で裕子の検査が始まった。夕方遅くまでかかって裕子の病状を調べた徐医師は、裕子に入院を勧めた。
「以前から悪かったのですね。冬の中国に旅をするのは危険だったのではないですか。もっと命を大切にしてください」
徐医師は厳しい表情で言った。
年齢は裕子より少し年上であろう。
「はい、ほんとうにそうなんです。少し油断をしていました。最近落ち着いていたものですから」
勤務の日でもなかったのにゆきずりの裕子のために一日を費やしてしまった徐医師に済まなく思い、裕子は丁寧に頭を下げた。
だが、旅先で入院をすることはできなかった。
「でも入院だなんて。ほんとうにすみませんでしたけどここで入院なんてとても無理なことです。明後日にはツアーの人たちと日本へ帰ります。姉には通院している病院もありますし」
と、忍が様子を見ながら顔を見ながら言った。
強い口調で言う忍の言葉に、徐医師は諦めたように
「では、ホテルで寝ていてください。安静にしていてほしいのです。部屋を温かくするようにホテルには頼んでおきますから」
と言った。
二人はホテルに戻って休んだが、夕食には食堂に出た。同
じツアーの人達が心配をしていたので無事な姿を見せて安 心してもらうつもりでもあった。
手当てを受けたことと投与された薬のおかげで裕子の症状は確実に落ち着いていた。ツアーの人々もほっとしたようで 明るい顔で見舞いの言葉をかけた。
翌日二人は一行とは別行動をすることを認めてもらい、部屋に残った。
昼食を食堂で終えたとき忍が言った。
「今晩の食事は北京ダックでしょう。私は嫌いだわ。食べたくないわね。外に出てみない。買い物もしたいし」
裕子もこの部屋でじっとしているのはもったいなく思った。二度と中国を訪問することはできないであろう。このホテルの近くに戦前裕子が家族と住んでいたナンアンリという町がある筈である。
二人はホテルに頼んで、専用のタクシーを借りることにして町に出た。
「ちょっと止めてください」
走り始めてすぐに忍が言った。公園の中に屋台が並んでいたのだ。大勢の人がカンフー体操をしている。音楽もリーダーもなく、ただ黙々と体を動かしているのだが、皆同じポーズをしているのが裕子には奇妙に思えた。
「日本だってラジオ体操第一とか言えばみな同じポーズができるじゃないの。ちっともおかしくないわ」
と忍は言うが、ゆっくりと手足を同じ方向に動かす動作を見ていると、公園の樹木のせいもあって,海藻の揺らぐ海底公園の中にいるようであった。屋台の前の男も無表情に静止したままである。
「あそこでアベブーを売ってるみたい。行ってみない」
と言いながら車を降りた忍が駆け出したあとから裕子はゆっくり歩いて行った。気がつくと、忍が店の男と何かもめているようだ。
アベブーとは油で揚げたねじり菓子のことである。日本でも似たものはあるが、北京のものとはまったく違う。子供の頃大好きな食べ物であった。
「これ、アールよ。アールだってば」
と忍は声を荒げている。
「どうしたの。ああ、アールってイーアールのアールね。アールで幾ら?」
裕子もなんとかアベブーを手に入れようと男に言った。だが通じないようである。
「リャン、リャンでハウ?」
今度はそんな言い方をする忍を見て、見知らぬ男が忍の手の中からコインをつまみあげ店の男に渡した。そして菓子を二つ取って忍に差し出した。
「せっかく麻雀用語で話したのに、伝わらなかったみたい」
ときまりわるそうに言う忍を大勢の男女が見て笑っている。いつのまにか屋台をとりまいてたくさんの人たちがきていた。
二人は手に入れたアベブーを食べながらタクシーに戻ったが、運転者は、そんな騒動を知る様子もなく眠っていた。
「こういうとき助けてくれなければ。あなたは案内もしてくれるのでしょう」
と不満を言う忍に
「何かありましたか」
と運転者はけろりと言う。日本語は達者である。
「買い物をするのにたいへんでした。ここは今何語が通用するのですか」
「中国語ではあるのですが」
と運転者はくちごもる。戦争中は日本の植民地政策で自国語も満足に話すことができず日本語を覚え、中国に新政府ができると古い中国人には分からないような言葉が生まれた。
そんな中ふるい中国語は忘れられていったのだろうか。
「シエシエ、とかツアイツェンとかは通じないみたいよ」
「分からなくはないです。でも発音が少し」
と運転者はあいまいに言った。
「そんなことより、どこかおみやげを売っている所へ案内してください」
忍は動こうとしない運転者に言った。
「それなら、ナンアンリという町に連れて行ってください。ここからは遠くないでしょう」
裕子は運転者に頼んだ。子供の頃住んでいた街に行ってみたい。まだ建物は残っていると父から聞いていた。
案内されて街の入り口でタクシーを降りた二人は路地のような通りを中の方へ歩いて行った。このあたり、昔はとても汚い路地であったのだが今はきれいになっている。
「ちょっと、お店があるわよ」
と忍が嬉しそうな声を出した。
小さな店のようだがたしかに商店のようだ。しかしよく見ると入り口から大勢の人が列をつくっている。買い物をする人たちのようだ。
「この後に並ぶのかしら。皆ここに並ばなければいけないの」
この長い列の後ろに並ぶとすれば非常に時間がかかるだろう。
「そうねえ。ここで買い物は無理みたい。でも、どこも同じかもしれないわ。中国ではまだまだ品不足だって言うから。どこでも行列かもしれない」
二人が顔を見合わせていると、前の方から近ずいてきたひとりの女性が、裕子と忍の腕を掴んで自分が並んでいた位置に連れて行った。席を譲るというらしい。しきりに素振りをする。後ろに並ぶ人たちも笑って見ている。
裕子たちはすなおに好意を受けることにした。
だが、たくさんの品物を買うわけにはいかなかった。店にはほんの数点の軸ものと墨、硯、陶器などが並んでいるだけだった。それらの品物を買いたい人たちがずらりとならんでいるのだ。買い占めるような真似はできなかった。
そこに並ぶ人たちは高齢者が多く、裕子たちが話している日本語を理解したようであった。「好きな物を買ってくださいと言う。二人はそこにある掛け軸などを数点だけ買った。「ご親切に有難うございました」と礼を言って店を出た。
事情を聞いた運転者は、
「それでは友誼店に行きましょう。別の街ですが」
と言って観光客専門のみやげ物店に案内した。そこにはシルクの服地や刺繍物の小箱や漢方の薬、食品、化粧品などたくさんの品物が揃っていた。値段もレートの関係で驚くほど安いものであった。
買い物を終えた二人は運転者に夕食ができる店に案内してほしいと頼んだ。
彼は大衆食堂でよければと言って、少し洒落た大衆食堂に二人を案内した。大王美食という店の看板が読めた。
三人が席に着いてほっとしたときだった。相席をさせてくださいと言うような中国語が聞こえて一人の男が裕子の前の椅子に腰を下ろした。
「あら」
裕子はその男性を見て小さく声をあげた。
「徐先生。徐再思先生ではありませんか。昨日はありがとうございました」
相客の男性は昨日裕子の心不全を救ってくれた北京大学病院の医師であった。
「こんばんは。体の具合は大丈夫なのですか」
徐は声を懸けたのが裕子だと分かるとすぐに不機嫌そうな表情で言った。
「昨日はほんとうに有難うございました。お薬がとてもよく効いているようで、心臓の苦しみはすっかりなくなりました。でも、こんな体では二度と中国に来ることは出来ないと思い、街に出てしまいました。すみません」
と詫びた。徐医師の顔が少し和らいだ。
「分かります。でも、命を大切にしてください。街に出ることが命を懸けるほど重要なことだとは思えませんよ」
と医師は言ったが、それほど裕子の病状は深刻なのだ。
「でもここは私の故郷なのです。私は小学校一年生まで北京で暮らしました。一年生の一学期で終戦になりましたけど。物心がついた三歳から六歳までのこの国での体験は私の生き方を決めたものだったのですから」
裕子は自分の気持ちを分かってもらいたかった。
「そんなに貴重な体験をあなたはここでされたのですか。私の両親にも日本人の友人がたくさんいましたよ。両親は数年前に亡くなりましたが、父も母も日本語しか話すことができず、新しい中国の言葉を覚えなおすことに苦労しました。でも、父は日本人が大好きでした」
再思は、戦後の辛い経験もあるが彼の家族は日本人が好きだったと言った。
「私は子供の頃よく北京大学病院へ行ったのですよ。妹や弟がいつもできものが体中にできて大変だったのです。母は幼い子供たちを連れて大学のジョウ先生のもとに通いました」
裕子は彼女が五、六歳の頃のことを思い出していた。母は
裕子の妹と弟を連れて子供たちの治療に通っていた。
「ほう、それはご縁があるのですねえ」
と再思は心を開いたようだった。
「先生はずいぶん日本語が上手だと思ったら、そういうわけだったのですね」
忍が言った。忍はまだ生まれていない頃のことだ。
「両親が日本語でしたからね。日本人と親しくしていた私たち一家は政府に睨まれました。家や財産を没収され、小さな集合住宅に入れられました」
「あの頃の中国はそういうことだったようですねえ。私の父の友人もそんな目にあったようです。その方は私たちの主治医のかたでした。ジョウ先生とおっしゃいましたが、私たちが引き上げるとき、収容所にまで来てくださったのです。ある日弟が高熱をだしたときでした。高熱でひきつけを起こしている弟を助けようと父は夜になるのを待ってジョウ先生を呼びに出ようとしました。門のところで監視に見つかりました。捕まれば極刑です。そのとき、一人の男がヤンチョウ(人力車)を引いて走ってきたのです。真っ黒い塊が監視人を突き飛ばし父をヤンチョウに釣り上げて走り出しました。男は二ヶ月前まで父が雇っていたシャーという人力車夫だったのです」
シャーは裕子の父が別れるときに与えた人力車を引いて収容所の出口でこんなことがあれば役にたちたいと待っていたというのだ。
「シャーは父を乗せると全速力で走りました」
そして、ジョウ医師もまた収容所に入るという危険なことを快く承諾した。
「ちょっと待ってください。その話はもしかして私の父のことではないでしょうか。父はあのとき私に言ったのです」
徐再思は十歳になっていた。二ヶ月前に突然持ち込まれたピアノにひどく関心を持ち、暇があればピアノの前に座っている男の子だった。
「おとうさん、僕はピアノを弾いて音楽家になりたいです。いけませんか」
徐再思はピアノの魅力にとり付かれていた。
「ところがあの日、夜も更けた頃私は父に起こされました。父は出かけるときに私に言ったのです。自分は今夜無事にもどれないかもしれない。戻れなかったら、どうか跡を継いで医者になって欲しいと。父は命を懸けていたのです。あなたの弟さんを診たのはきっと私の父だと思います」
徐再思の声は震えていた。
「そうでしたか。そうかもしれません。いえ、確実でしょう。ジョウというのは私が幼かったため徐先生をジョウなんて言っていたのかもしれません。きっとそうでしょう。それでは私たち家族は二人も命を救われたのですね」
裕子はあまりの偶然に運命の糸を感じた。
「ご縁なのですねえ」
と再思もしばらくは裕子と忍の顔を見つめていた。
「裕子さんはね、ずっと医者になりたくて頑張っていたんですって」
忍の言葉に再思は首を傾げて裕子を見た。そんな思いをもつ裕子がなぜ命を粗末にするのかが分からないという表情であった。
「私は大学病院で妹たちが治療を受けている間、病院内を歩き回っていました。そんなとき、中国人専用の治療室で行われる可哀想な治療の様子を見たのです。麻酔もなく手足を縛られて手術を受けている男の喚き声、ゴミ箱に無造作に捨てられた、手術で切り落とされた足の親指。そんなものを見て、私は必ず医者になり中国人に優しい治療をしてあげようと思ったのです」
「でも、受験に失敗して挫折でした」
再び忍が口を挟んだ。会話が二人だけで進むのが退屈になったのだ。
「それは残念でしたね。今夜はたいへん感動的なお話を聞きました。寒くなりましたから気をつけて帰ってください」
再思は忍に遠慮してか、それからは黙って食事を済ませた
「おじゃましました。お二人とも早くホテルに戻って休んで
ください」
と言って席をたった。
車で送るという裕子の申し出に
「少しでも早くホテルに入ってください。それから、私はよく日本に行くのです。日本での連絡先を教えてください。明日ホテルに電話をします」
と言った。裕子は思いがけない再思の言葉に胸をなでおろした。再思の機嫌は直っているようだ。裕子は子供のように大きく頷いた。
翌日朝食の前に再思が訪ねてきた。
「早くにすみません。でも、健康状態をみておきたいと思ったのです。お元気そうですね。安心しました。ちょっと診察をさせて下さい」
聴診器を取り出す徐の好意を拒むこともできず、裕子は胸を開いた。
丁寧に診察を終ると再思は
「今は心不全の症状はありません。でも無理はしないで下さい」
と言い、バッグの中から一枚の紙を取り出し裕子に渡した。
その紙には幾つものアドレスと電話番号が書いてあった。
再思が本気で連絡をしてくる様子に驚きながら、裕子は急いで夕べ用意しておいたメモを再思に手渡した。
「近いうちに日本へ行きます。そのとき必ず連絡します」
徐再思はそう言って部屋を出て行った。
裕子は小学一年生を中国で迎えた。
父は電電公社に勤める会社員という一つの顔と、ソ連、中国、アメリカに対する諜報役というもう一つの顔を持ち、終戦直前には小さな総合商社を持ち日本から戦地への物資を調達配送する仕事をしていた。
そのためか、父は裕子にとって優しい顔と恐ろしい顔を持つ存在の男であった。
日本への引き揚げのとき、集結していた収容所に、収容者のわずかな衣類や金品を狙って中国人の暴徒が襲来したことがあった。
数百人の収容者たちの男はみな応戦した。父も大きな石つぶてや武器にやられ血まみれになりながら戦った。
数日後、暴徒の首領だという男が捕まり中国やアメリカ政府の手によって処刑されることになった。裕子はその朝、極寒の地で母から命じられた米とぎに出ていた。
七歳の裕子の仕事にしては非常に辛いものであったが、裕子はいつも収容所の中にある小川の氷をかきわけて米とぎをしていた。姉が病弱で、母は二歳と四歳の子の面倒をみなければならず、裕子には大人と同じ分担があったのだ。
氷のもやがかかった真っ白な朝だった。
大勢の大人たちが駆け出していくものものしさに、興味を感じた裕子はとぎかけの米を抱えて走った。
そこで裕子が見た光景は一生忘れらることのできないものであった。
処刑である。
目隠しをされ後ろ手に縛られた痩せた男が一人、二人の役人に引き立てられ表彰台のようなところにあがっていった。男は無言であったが刑を執行されるとき
「プチドー(知らない)」
と叫んだ。
そのふりしぼる声も裕子の耳から消えてはいない。
裕子はそのとき、すぐそこに父が立っているのを見た。
「おとうさま、助けて」
と声をあげた。いつもの父ならこんなとき助けない筈はなかったのだ。
だが、その声で裕子の方を見た父の顔は恐ろしいものであった。裕子はちぢみあがって言葉が続かなかった。
「帰っていなさい」
と穏やかな声でいうと、自分の首からマフラーをはずして裕子の手にかけると、米を入れたボールに凍り付いている指をそっとはがしていった。
米を持った父と裕子は言葉もなく収容所へ戻った。
当時の裕子には、社会における権力とか権威とかいう万能な力が存在することを理解できなかった。ただ、そのとき、いつもの父にある心の強さにも限界があることを知った。裕子は限りない不安と寂しさを感じていた。